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  ■彷徨える賃借人  
   
   
   
   
     
  ■1414 project  
   
 
怒涛の2004年
   
   
   
     
神戸→南森町→駒沢→築地… 居酒屋住宅ができるまで。
4月上旬 テラさん、始動。
キンショー契約から10日後、私は1414号室の下見をしてもらうために
建築家・寺林省二さんがナビゲートするイベントが終了するやいなや、彼を築地までかっさらってきた。

かなり疲れ気味のテラさんは、現場に入ると少し生き返ったように見えた。
私が描いた『1414(いよいよ)project』のラフスケッチを見、私のあれやこれやの要望を聞きながら、図面を広げ、
天井裏を覗き込んだり、コンベックスを取り出して測ったりするその動きは、
飲み仲間・テラさんのそれではなく、建築家的行動パターンで新鮮だった。(失礼!)

テラさんとは仕事を通じて知り合いになり、あちらこちらでお会いするうちに、"築地会"の常連さんとなった。

"築地会"というのは、木工家具デザイン製作者の真吉さんの命名で、
去年の夏、真吉さんに『男前テーブル』を製作してもらって以来、頻繁に開かれるようになった
うちでの飲み会のことで、私が女将を務める。
(女将だからといって私が料理するわけではない。むしろみんなの料理を食べたいがために開催日程を決めるだけの存在なのだ。)
築地という場所柄か、「にぎりの会」「貝の会」「酒粕を味わう会」など毎回お題が編み出され、
当日は築地市場で食材の買い出しをし→料理し→飲み→また料理し→飲み・・・
その間の話題は延々と食べ物、飲み物に関することに終始する、という食いしん坊万歳の集まりである。

4月下旬 キッチンがメインの『1414(いよいよ)project』
『1414 project』におけるコンセプトはいくつかあって、
ひとつ目は、写真のプリントがきちんとできる環境をつくること。
ふたつ目は、この"築地会"をもっと居心地よくしたいということ。

というのも、1221号室では、みんなが囲む男前テーブルとキッチンの位置が離れているせいで、
料理人はひとりさみしく料理に打ち込み、会話に加わることができず、
そのほかの人間は手伝いたくても場が混雑するだけの邪魔モノ。
ここはひとつ、キッチンはオープンな対面式にしたかった。



テラさんにこういうと、
「"築地会"もいいけど、もっと自分の普段の生活を考えた方がいいよ。」
と言われたけれど、実際、普段の生活も一人暮らしなのだから、キッチンに引きこもって料理や洗い物をしたいわけではないし、
写真をプリントするときは、バットをいくつも並べ、印画紙、薬品、フィルムなどいろいろなものを広げることになるので、
オープン・対面の方が使い心地がいい。
そうテラさんにお願いすると、「よっしゃ、任しといて」と言ってくれた。


そして、みっつ目は、京の町屋のように奥へと続く土間。
昔から私は、土間や三和土に憧れを抱いていた。
ウチでありウチでない空間。下足でもいいし、上足でもいい。
時には作業場となり、時にはギャラリーとなる。
そんなフレキシブルで、どこか緊張感がある空間がほしかった。
たとえ、35平米でも。
いや、35平米だからこそ。

5月上旬 ヨクとイサギヨサのせめぎあい
欲を言えば、畳コーナーもほしいなぁと思うし、窓も引き違いではなく、引き込みに替えたい。
キッチン周りの収納も充実させたいし、ドラム式洗濯機が置けるような洗面所だといいな、と思う。
けれど、こうやって言い始めるとキリがないからこそ、寺林さんに設計をお願いしたのだ。

彼の事務所兼自宅を訪ねたとき、決して広くはないけど余裕があり、
モノが少ないわけではないのにどこか潔く、それでいて無理をしていない。
その居心地のよさに自分の理想(あるいは同じニオイ)を感じると共に、「あれもこれも」と盛り込みたがる自分を客観的に見て、
潔さを追求したかったからこそ、私はテラさんに「キレイはいらない。潔い暮らしがしたい。」とお願いしたのだった。

先月末、テラさんが工務店の石井さんと一緒に現場調査に訪れた。
テラさんと石井さんとで天井裏やパイプスペースをのぞき、壁を叩き、畳を上げた。
その畳の下は断熱材、その下は砂だった!
石井さんによると、昔は水平を出すために砂を使ったのだという。

解体工事は、今月下旬から始まる。
テラさんは、
「これは建築家と工務店と施主の共同プロジェクトだ」
と言ってくれた。
私はできる限り参加する。(決して邪魔にならないように…)
"築地市場"という言葉に目を輝かせた石井さんには、工事開始までに「お昼の楽しみ〜築地ランチマップ」をつくって、差し上げたいと考えている。
(これを機に、石井さんは"築地会"の常連となった。)

5月中旬 近隣挨拶
工事着工にあたり、管理組合には工事届を提出しなければならなかった。
そこで、改めて分厚い管理規約を読んでみると、
「大規模な改修には、両隣と上下階の住人の諒解印をもらい、少なくとも10日以上前に理事会へ提出し、承認を得ること」
と書いてあるではないか。
――― 10日以上前にハンコ付き!?
これに気がついたのは、工事の4日前だった。
ご近所へのご挨拶は工事が始まる前日か前々日に、と考えていたので、
ご挨拶の品は何にしようか?などと考えながら、のんびりと構えていた。
しかし、ご近所のハンコをもらわなければ、着工が遅れる〜!
焦った私は、ご挨拶の品を手に猛ダッシュをかけた。

ご近所さんは、このマンションの新築時から、つまり30年以上住んでおられる方ばかりで、
「工事の音が騒がしくてご迷惑をおかけするかもしれませんが・・・」と言うやいなや、
「いいのよぉ。あたしはね、今年89歳なの。
耳も遠いし目も悪いんだから、聞こえないわよ。
お一人で住むの?まぁ、気楽でいいわねぇ。お仕事は?
さみしくなったらうちへ遊びにいらっしゃいね。うちにはね・・・」
と、お茶に誘われたり、
「まぁ、そんなことわざわざしてくれなくてもいいのに。
このマンションが好きなの?そう。いいでしょう?
私達もね、ここに住んで30年以上になるんだけど・・・」
と、井戸端会議に花を咲かせたりしながら、無事全員の”諒解のハンコ”をもらうことができた。

翌朝、管理人室へ工事届を持って行き、
「来週から工事に入りたいんですけどっ、今提出しても間に合うでしょうかっ!?」
と噛み付くように管理人さんに聞くと、彼はちょっと驚いた顔をして、
「いやぁ、リフォームするのに近所の人のハンコをもらってきた人は初めてだよ。」
―――え〜?何のための管理規約なのさ〜。あたしって真面目すぎ?

「普通はね、工事の予定表を出しもらうだけなんだよ。」
―――え〜?それならそうと、早く言ってよ〜。

けれど、まあ、ご近所さんにはきちんとご挨拶することができたし、管理人さんには”1414号室の岩谷”をしっかりとアピールできたようで、
以後、管理人室で宅配便を預かってもらったりしたときには、前を通るだけで、「荷物預かってるよー」と呼び止めてもらえるようになった。

朝、出かけるとき、お掃除の人に「おはようございます」と挨拶すると、「いってらっしゃい」と返ってくる。
夜、帰ってきたとき、お出かけするおばあさんに「こんばんは」と挨拶すると、「おかえりなさい」と声をかけられた。
このマンション自体が、だんだん私の家になってきたようで、とても嬉しかった。

5月下旬 解体
解体工事を明日に控えた日曜日、私はドライバー片手に1414を訪れた。
パーツ取りをするためである。
棚の把手やガスのコックなど金属系のパーツが渋い艶を放っていたので、手元に残しておきたかった。
(が、ガスのコックは外せなかったので、工務店の石井さんにお願いした。)

それから、洗面所の鏡ユニットも取り外してもらってきた。
(鏡の背面がプラスティック製の収納になっているもの。)
実は今住んでいる1221号室の鏡ユニットに、アロマキャンドルを灯して置いたら、熱で少し溶けてしまったのだ・・・!
幸い1414号室も1221号室も型が同じユニットだったので、取り替えることができた。(これこそ完璧な原状回復)

工事着工の朝、築地市場で腹ごしらえをしてきたという石井さんと共にもう一度ご近所に挨拶に伺い、解体工事が始まった。
石井さんは、一つ一つパーツをはがすような丁寧さで解体を進めていく。
ちなみに某TV番組のように、ハンマーでどっかんどっかんと壊していくことはない。
ましてや建築家が率先してやることはありえない。
建材が飛び散って非効率だし、騒々しいし、第一危ないのだという。
私も解体工事は見るだけで、日毎に躯体を現してくる1414をカメラに収めていた。

数日で解体は終了した。
リフォームの場合、天井裏など解体してみないとわからない部分が多いので、
ここから建築家の寺林さんがプランの詳細を詰めることになったが、あまり大きな変更点はなく、
何回か打ち合わせをしたのち、図面が届いた。
(たぶん・・・。寺林さんは苦労してたりして・・・)
届いた平面詳細図や展開図を、私は毎日飽くことなく眺めている。
図面を眺めながら荷造りを始め、荷造りしながら
モノのダイエットを始めた。

いよいよ今週から本工事に入る。

6月中旬 工事着工
実は、5月末に現在住んでいる賃貸・1221号室の退去届を提出していた。
つまり、6月末までに工事が完了しなければいけない、ということ。
『改修だし、図面はできてるし、小さい部屋だし、1ヶ月あれば余裕でしょ。』
と思っていた。
実際、建築家の寺林さんも工務店の石井さんも、「大丈夫ですよー」と言ってくれていた。

が。6月の初めに大問題が発生した。
国産の特に珍しいものではないバスユニットの納品に数週間もかかるというではないかい。
文房具は"アスクル"時代だというのに。
大問題の大というのは、配管の位置を決めたり、細かい寸法を追うためには、まず最初にバスユニットを施工しなければならなかったからだ。
バスユニットが納品されないことには工事がスタートできない・・・

「1221号室の退去を遅らせるか!?
でも、もうこれ以上ローン返済と1221号室の家賃をダブって払い続けられない〜!」
この叫びを汲んでくれた石井さんのおかげでバスユニットの納品が少し早まり、本工事が始まったのが6月17日。
引越し予定日が26日。
つまり、工事期間は正味10日間という強行スケジュールとなった。

工事が始まった日から、10坪の1414号室は職人さんで溢れた。
写真を撮るために誰もいないであろう早朝の現場を覗きに行くと、築地市場で腹ごしらえをした石井さんがすでに到着していた。
その後次々に職人さんたちが到着する。
管理規約上、工事の始業時間は8時半と決まっていたから、そぉーっと準備を始めたり、小声で打ち合わせをしたりしている。

最初は、すごいなぁ、みんな早起きだなぁ、これが職人さんの生活かぁ、と感心し、職人さんの道具や腰袋に興味津々だった。
けれど、休日の朝・昼・夕方と頻繁に顔を出して、大工さんと話していた時のこと。
ベニヤ仕上げの床を指して、
「ローコストっつってベニヤ使ったんだろうけど、
これ、手間ばっかり食ってやりにくいんだよなぁ。 
フローリングのほうがやりやすいし、きれいだよ。
ま、いいんだけどさぁ。こんなんでいいの?ほんとに?」
と苦笑いされた。
その時、私は申し訳なさと猛烈な自己嫌悪に襲われた。
建築費を『材料代』や『手間代(人工代)』としてしか捉えていなかった自分に。
その向こうにある職人さんの仕事振りや彼らの矜持が全く見えていなかった自分に。
仕事柄、今までたくさんの住宅を見せてもらってきたはずなのに、職人さんの仕事も間近で見せてもらってきたはずなのに、だ。
一体私は今まで何を見て、どこに感動して、何の写真を撮っていたというのか・・・

工事が進むに連れ、そんな思いがますます強くなっていった。

6月下旬 引き渡し
工事期間の10日間は、あっという間だった。
工事完了が一日遅れ、引き渡しと引越しが同じ日になった。
前日と当日は引越し準備もそこそこに、何度も何度も1414へ足を運んだ。
完成に近付いていく様子を見たかったのはもちろん、
石井さんを始めとする現場の皆さんに、少しでも感謝の気持ちを伝えたかったからだ。
もっと余裕のある工期だったら、ローコストの物件でも楽しんでもらえたかもしれない、という後悔も根底にあった。

午後3時頃、工事が終わった。
工具や材料がきれいに片付けられると、1414はぽつんと取り残された印象だった。
その日の朝、築地市場で仕入れておいたお土産と共に、職人さんたち一人一人ににお礼を言った。
いくら言葉を尽くしても足りないような気がしたし、逆にくどくど繰り返しても嘘っぽくなるような気がした。

短い期間だったけれど、誰よりも早く現場に到着し、休日も割いていただいた水道屋さん、
デッキができあがったベランダで隅田川を見下ろしながら、「ここは風が気持ちいいねぇ」と、ぼそっと言った大工さん、
私が釘や工具の写真を撮っているのを見て、「そんなんが面白いかい?」とたずねた大工さん、
「お客さんが煙草を吸う人だと気が楽だよ」と美味しそうに煙草を吸っていた大工さん。
休憩が終わり、「よしっ、やるか」といった時の彼らの眼を、Re1414号室のスタートにしたいと思った。

そして。
「消さないで!」と、いやがる石井さんの手を止めて、残してもらった壁の書き込みと、
「捨てないで〜」と、寺林さんの手から奪い取った現場用の書き込みだらけの図面は、
32年前の青焼き図面と共に私の宝物となった。

職人さんたちが引き上げた後のがらーんとした1414には、川風が気持ちよく抜けていった。
石井さんは最後の点検に余念がない。
少し前に登場した寺林さんは、「う〜ん、気持ちいいねぇ」と言いながら、ニコニコと点検。

引越しを手伝いに来てくれた友人は、コンクリート剥き出しの壁や、32年前の断熱材が丸見えの天井、
まだ扉のついていないトイレや収納を見て、
「本当にこれで完成?本当にここに住むの?」
と真顔で聞て、本気で帰ろうとした。
それを慌てて引き止めて、
「そうだよ。ここからつくり上げていくんよ。
壁を塗ったり、扉を付けたり。
でもこのままでもカッコいいっしょ?
この荒っぽいコンクリートの感じが好きなんよ〜。」
私は、いよいよこの空間に住むことができる、ということにワクワクし通しだった。

6月下旬 引っ越し 前半
6月26日午後3時に無事引渡しを終え、工務店の石井さんと建築家の寺林さん、
そして引越しを手伝いに来てくれた友人を交え、32年前の床・壁・天井と、
生まれたての造作とが絡み合った空間に、ようやく"住人"としての実感が湧いてきたその時、
引越し屋さん『リサイクルボーイ』のお兄さん達が到着した。

3人のお兄さんで構成された引越し屋さんは、早い・安い・丁寧と三拍子揃った上に、
親切・さわやか・力持ち、と合計六拍子揃った素晴らしいチームだった。

恥を忍んで白状すると、実はこの時点で、まだパッキングが終わっていなかった。
――― すみません。。。

夕方からの引っ越しだから、余裕があるだろうとタカをくくっていたら、いつの間にか1414号室に夢中になり、時間を忘れていたのだ。
そんな散らかった部屋をひと渡り見回して、お兄さん_1は
「ダンボールが足りなかったら、まだ余ってますから持ってきましょうか?」
とさわやかだった。
――― 恥ずかしかった。。。
――― 手伝ってくれていた友人も恥ずかしかっただろう。。。すまん。

そして、リーダー格のお兄さん_1がちゃっちゃと3人の役割分担を決めると、
彼らはパッとそれぞれの持ち場(12階と14階)へと散っていった。

本を目一杯詰め込んだ箱を三段重ねて(!)一気に(!)小走りに(!)運ぶお兄さん_1。
――― 友人が「重くないですか?」と聞いたら、
――― 荷物を抱えたまま「重いっすよ!」と笑顔だった。すごい。

大きい冷蔵庫や洗濯機を長い腕を回してひょいと持ち上げ、くるりと回転し、寸止めを駆使して細い廊下を進むお兄さん_2。
―――その細い体のどこにそんな力が潜んでいるのか?
―――私と友人は、彼が腰を痛めないかと心配だった。

今日が初めての仕事だと言いながら、一生懸命に先輩の先を読むお兄さん_3。

3人の役割分担は明確で、引越しは猛烈なスピードで進み、1時間もしないうちに最後にして最大の大物・ベッドを残すのみとなった。

このベッドは、『徒然ひとりごと 2003年4月』で書いた思い入れの深〜いものだ。
トランクベッドといって、油圧式のジャッキでフレームを持ち上げ、ベッド下全体が収納スペースとなる特殊な機構を持つため、非常に重い。
しかも、ヘッドレストが引っかかって部屋から出ないことがわかった。
解体しようにも、工具がなくてできない、という。

そう聞かされた私は、一瞬頭が真っ白になった。
――― ベッドをこのまま1221号室に置いていくの???
――― 明日には鍵を大家さんに返さなくちゃならないんだってば。
――― それより、今日から寝るトコどうすんの!?
お兄さん_1もこんな特殊なものだと予想していなかったらしく、困っていた。
――― 確かに、彼らは小さなドライバーしか持っていなかった。

私は、彼に「ちょっと待っててください!」と言い置いて、「石井さ〜ん!寺林さ〜ん!」と半泣きで1414号室へ駆け込んだ。
事情を聞いた2人は、
「そんなの、たぶん○○(工具の名前)があれば簡単だよ。」
と、工具を携えて1221号室へ来てもらうと、
「ここはこうなってるから、こことそこを外せば分解できるんじゃない?」
石井さんと寺林さんがそんな遣り取りを交わし、工具を手にすると、ヘッドレストはあっけなく外れた。
――― ありがとう!

ここから引越し3人チームの底力が出た。
あの重い重〜いベッドを2人で縦に(!)持ち上げ、非常階段、しかも螺旋階段で運んでしまったのだ。
私は、幅の狭い螺旋階段を一段一段しずしずと運ばれていくベッドを対面の外廊下から見ていた。
なんだか深窓のお姫さまが輿で運ばれていくようだった。

『リサイクルボーイ』のお兄さんたち、本当に本当にありがとうございました。
この会社は、その名の通りリサイクルショップを兼ねていたので、貰い手がなく、捨てるに忍びなかった家具も快く引き取ってもらった。
――― どこか誰かの家で役に立つことを祈る。

1221号室のチェックを終えて1414号室へ戻ると、深窓のお姫様にはヘッドレストが取り付けられ、定位置に鎮座ましましていた。
石井さんと寺林さんと友人のおかげだ。
――― 工務店さんと建築家に引越しまでも手伝わせるなんて、なんつークライアントや。

ダンボールの山と化した1414号室を後に、私たち4人は場外へ飲みに繰り出した。

7月 エアコン取り付け工事
今更だけど、今年の夏は暑かった・・・。
ましてや、最上階があんなに暑いとは・・・。

1414に引っ越して1週間後、酷暑がやってきた。
特に屋根スラブと外壁のコンクリートが熱を発し、室内は高温サウナ、いやオーブン状態。
窓を開けても、玄関ドアを開けても、換気扇を強にしても無風。凪だった。
私は暑さでフラフラになってしまったのか、気が付いたらベランダで寝ていたことが数回続き、やはりエアコンを取り付けることにした。

家電量販店に行くと、エアコン売り場は連日の猛暑を反映して、大盛況だった。
私は迷うことなく、あるエアコンに向かった。
以前から目星を付けていた「ダイキンエアコン UX」である。
奥行き15cmの業界最薄、直線的なデザインで、数あるエアコンの中で一番すっきりしていた。
(オールステンレスならもっとよかったんだけど!)

取り付け工事は、その3日後、日曜日の午後となった。
木、金、土の熱帯夜、涼しい夜を夢見て、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ。

日曜日の正午きっかりに、電気屋のお兄さん2人が到着した。
彼らは1414号室に入るなり、「おぉっ」と声を上げ、挨拶もそこそこに部屋をグルグルと見回し、
「面白いですねぇ」「こんな感じ、好きですねぇ」「こんなふうに住みたいなぁ」と面白がっていた。

この時点では、まだトイレや収納の扉が付いていず、まだダンボールが積んである状態だったけれど、
ひととおり家を案内し(っていうほど広くないけど)、説明するうちに、打ち解けた雰囲気になった。
そのおかげか、取り付けに際し、「どのあたりに取り付けましょうか?」と聞かれて、
「白い包帯をぐるぐる巻いたような配管をなるべく見せたくないんです。カッコ悪いから」
と言うと、
「こだわってますね、おねーさん。それじゃ、位置は低くなりますけど、ここはどうですか?」
と、エアコン本体に室外機からの配管を直結するような提案をしてくれた。
確かにエアコンの噴き出し口の高さが150cmくらいになるけれど、梁下にきれいに収まるような気がしたし、
1年のうち数ヶ月しか使わないものならば、部屋全体の見え方を優先させようと思った。

それから、問題が一つあった。
室外機置き場である。
ほかの住戸には、ベランダの天井から室外機を吊り下げる「天吊り金具」が付いているのに、
なぜか1414号室だけは取り外されていた。
しかも、3年前の大規模修繕の時にアンカーボルト用の穴が埋められてしまっているようなのだ。
エアコン購入時に天吊り金具もお願いしておいたけれど、量販店の店員さんには
「アンカーボルト用の穴が開いていなければ、室外機の天吊りはできません。 床置きにしてください」
と冷たく言われていた。
小さなベランダの床に室外機!ありえん!
ベランダには洗濯機も置いてあるので、室外機を置くスペースなど残っていなかった。
電気屋さんに事情を説明して、どうしても天吊りにしたいと懇願すると、
「新たにアンカーボルト用の穴を開けましょうか?こだわりのおねーさんのためだからね。」
と快く受けてくれた。一番の懸念事項だっただけに、嬉しかった。

このような躯体に関わる工事は、販売店として安全性を保証できないため引き受けていない、
と聞いてはいたけれど、電気屋さんは1414号室を見て、
私を"こだわりのおねーさん" (もしかしてうるさい客?)と名付けて面白がってくれているようだった。
しかも費用はアンカーボルト4本分の材料費だけ。
私はありがとうを連発した。

さて、葛飾生まれ葛飾育ち・江戸っ子のお兄さんと、元料理人のお兄さんのコンビは工具を運び込むと、
息の合った動きで作業に取り掛かった。
元料理人のお兄さんは、江戸っ子のお兄さんの指示を仰いで、ベランダの手すりにひょいと乗っかった。
地上40mを命綱なしで。

手すり越しになら見慣れた景色も、一歩間違えれば真っ逆さまと思うと、見ている私の方が怖い。
「高い所は平気なんですか?怖くないんですか?」と聞くと、
「う〜ん、怖いですよ。」
――― 全然怖くなさそうだよ。
ベランダで元料理人のお兄さんが室外機天吊り金具を取り付け、室内で江戸っ子のお兄さんが室内機を取り付け、
私は掃除機で埃を吸い取る役を仰せつかり、手伝いながら工具を見せてもらったり、写真を撮ったりしていたので、
彼らの仕事の邪魔をしていたのかもしれないけれど、とても楽しませてもらった。

取り付けが終了し、エアコンの試運転をする間に3人でお茶を飲んでいると、話は尽きなかった。
なんだか友達が遊びに来ているような錯覚がした。
もしも彼らに次の仕事が入っていなかったら、新品のエアコンの風のもと、ビールがプシュッと鳴いただろう。
彼らが帰った後、領収書には量販店の名前しかなく、彼らの名前も会社名もわからないままだ。
一期一会、だった。

後日談:エアコンの取り付け翌日から、とてもとても涼しい日が続いた。
猛暑はどこへ行った!?

後日談:2日後、元料理人のお兄さんから電話があった。
室外機の上にモンキーレンチを忘れて帰っていた。
墨壺を梁の上に置いていった昔の棟梁のようだね。

8月 ワタクシ、理事になる
8月のある夜、ピ〜ンポ〜ンと勢いよく玄関チャイムが鳴った。
自宅で仕事に追われていた私は、NHKか新聞屋さんか羽毛布団の押し売りだろうと無視していた。
すると、ピンポ〜ンピンポ〜ンと立て続けに鳴り響くチャイムにかぶせて、「岩谷さ〜ん」と女性の声が聞こえてきた。
玄関ドアには表札を出していないし、なんだか親しみのある声だったので、とりあえず玄関を開けてみると、
マンション内で見かけたことのあるTさんが立っていた。
Tさんは、
「夜分遅くにごめんなさいね。」と言いながら、室内に目をやって驚いた表情をした。
「改装したの?こんな一人暮らしなんてうらやましいわね〜。」
と興味津々のご様子だったので、
「中を見られますか?」
と、思わず言ってしまった。
Tさんはパッと輝かせ、キッチン、奥の部屋、そしてベランダへと進んでいった。
いつの間にか私は、ベランダで外を眺めながら、彼女からこのマンションの歴史を聞いていた。

30分ほど話していただろうか、彼女はようやく本題に入った。
「9月にね、理事会役員の任期が満了になるんだけど、岩谷さん、次の理事会に入ってくれないかしら?」
理事?私が?

なぜ私に白羽の矢が立ったのか、理由は明白だった。
1年ほど前から、公共用地だった隣地が民間に売却され、小さなワンルームマンションの建設計画が持ち上がっている。
その「隣地マンション建設説明会」(つまり建設反対運動)が、マンション内で催されるたび、
借家人だった私も建築的かつ野次馬的興味から顔を出していた。
それをしっかり覚えられていたのだ。

最初は断った。
大変そう、時間がない、ちょっと面倒・・・。そんなところだ。
私が建築士であることは知られていないだろうが、仕事が建築関係だということは何かの折に口に出していたからか、
それとも(比較的)若い血を入れたかったのか、あるいは本当に引き受ける人がいなかったからなのか、
Tさんは世間話を挟みながら、食い下がってきた。
「何もしなくていいから」
「ヒラ理事でいいから」
「忙しかったら、委任状を書いて欠席してもいいから」

確かに、このマンションが抱える隣地マンション建設や耐震補強工事などの問題には、所有者となった今、ますます興味を持っていた。
だが、決定打はこの一言だった。
「うちの兄も写真撮ってるのよ。私は兄の事務所を手伝ってるんだけどね。
もう忙しくて大変なのよ。そうだ、名刺を渡しておくわね。」
その名刺に書かれてあった事務所名は、国際的山岳写真家S氏の名前だった。

そして私は理事になった。
なんとも不純な動機から。
理事会で一番若手の私は、月に一度開かれる会合で父母、祖父母ほどの年齢の方々から興味津々の目で見られているようだ。

8月 猛暑のD.I.Y.
8月8日快晴、猛暑真っ盛りの日曜日。
今日は、1414号室のクローゼットの扉取り付けと浴室・厨房の防水塗装を行う。

朝8時に国立を出発した「1414project助っ人隊」の4人は、定刻より早く築地に到着した。
来てくれたのは、注文木工家具製作の真吉さん、建築家・テラさんこと寺林省二さん、
テラバヤシ・セッケイ・ジムショのシミズくんとアサダさん。追って友人2人も到着。
全員が揃ったところで、真吉さんから打ち合わせの声が掛かり、それまでお茶を飲んで和気藹々だった空気がピリリッと引き締まった。

段取り表を示して、役割分担や進行を説明する真吉さんの指揮の下、7人が「扉チーム」と「塗装チーム」に分かれると、
1414号室は俄かに「現場」と化した。

扉チームは、まず扉にスライド丁番を取り付けるための印付け。
この印付け、合計16枚もの扉を取り付けるため、真吉さんが予め「型」をつくってきてくれていた。
その「型」を材の端に添わせて印を付け、真吉さんがドリルで穴を開け、そこに丁番を嵌め込む。
扉チームは粛々と作業を進めていた。

一方、テラさんはトイレの扉付け。
そう、それまでトイレに扉がない、清家清「私の家」的な生活を私は送っていた。
お客さんが来たときだけ目隠しカーテンをつけていたけれど、私ひとりでは不自由も不満も感じず、むしろ楽しんでいた。

塗装チームは、まず浴室のマスキング。(塗装したくない部分にテープを貼ること)
窓、バスタブ、換気扇廻りにマスキングテープを巡らせてゆく。
この時点で、真夏の狭い浴室はサウナと化した。
マスキングが終わると、シーラー(防水塗料)を刷毛で塗る。
この塗装作業は、浴室が一人分の作業スペースしかないせいで、結局友人B一人に任せることになってしまった。
お昼前には改装の現場監督をお願いした石井さんが来てくれて、10坪の空間に合計8人が作業していた。

お昼のメニューは、夏の定番・カレーとビール少々。
気温も食べ物も暑いが、風が吹き抜ける。
今日は築地市場が休みのため、街は静かだ。

午後、作業再開。
扉チームは、クローゼット本体側に金具を取り付ける段階となった。
塗装チームは、厨房の壁のシーラー塗りに取り掛かかり、私と友人Aは喜々としてローラーを握った。
塗り終えると、
「せっかくマスキングしたんだから、上塗りもやってしまおうよ」
という友人Bの強い提案で、水性塗料を買ってきてもらい、浴室・厨房とも一気に仕上でまでできてしまった。

3時の休憩の頃になると、扉は本体に嵌め込むだけの状態にまで進んでいた。
扉となる板に反りや歪みがあることを想定して時間配分していた真吉さんは、
思ったより順調に捗っていることで、安堵しているようだった。

いよいよ扉の取り付けが始まった。
シミズくんとアサダさんが慎重に丁番を嵌め込んでいく。
すべての扉を取り付け終わると、そこから真吉さんの念入りな微調整が始まった。
16枚の扉は、まだ水平でなかったり、垂直でなかったりして、“整列”を習う前の小学生のようだった。
(私は扉が付いたことに感動し、全く気にしていなかったんだけど)

真吉さんが全体を見渡して「もう少し右に」とか「もう少し締めて」という指示を出し、
シミズくんとアサダさんが、扉を一枚ずつ、そして少しずつ少しずつ調整することが、1時間以上も続いただろうか。
すべての微調整が終わったとき、みんなから一斉に歓声が上がった。
それほどまでに、調整する前と後での雰囲気が変わったからだ。
16枚の扉は1枚の壁のように平滑で、扉と扉の間は真っ直ぐ目地を通したように端から端まで1本の線となっていた。


扉が付いていないときの土間が、まるで洗濯物が翻る路地裏のようだとすれば(もちろんそんな雰囲気も好きだったけれど)、
扉が付いた日から、そこはクールな表通りに大変身した。

こうやって整然とした扉が付いて空間が一変し、帰宅して玄関を開けた時の驚きや、
きれいに塗装された浴室で心置きなく水しぶきを飛ばせる快感を思うと、
私は大雑把な性格だからか、扉付けも塗装も「急がなくてもいい」、「そのままでもいい雰囲気だから」
などと思って過ごしてきたこの2ヶ月は、単なるズボラだったということに気が付いた。
もう少し自分にエンジンかけてスピード上げて1414に関わろうかな、と思う。

「1414project助っ人隊」のみんな、本当にありがとう!
今度は作業ナシで飲み会しようぜー。

9月 住宅ローン借り換え
住宅ローンを借りるとき、都市銀行から見放された私に手を差し伸べてくれたのは、U銀行傘下のS銀行という大阪の地方銀行だった。
仲介してくれた不動産屋さんが奔走してくれたおかげで、無事に契約することができたが、いかんせん大阪の地方銀行。
通帳記帳さえ神田にある東京支店に行かなければならず、面倒だった。
金利もそう安くはない。繰り上げ返済手数料も15,000円/回はちょっと高い。
月々の返済額は少なく抑えていたが、できるだけ繰り上げ返済して、さっさと完済してしまいたい野望を持っている私には、
非常に使いにくい銀行だった。

ある日ふと見た地下鉄の吊り広告。
「借りた後の利便性」「繰り上げ返済手数料なし」「保証料不要」
ソニーバンクの住宅ローンの広告だった。

ずっと以前からソニーバンクはお気に入りで、借り入れ先を探していた時も問い合わせてみたけれど、
中古住宅には適用されないため、残念に思っていた。
けれど、ここで借り換えという手が浮上してきた。
調べてみると、借り換えでS銀行から戻ってくる保証料で借り換え諸費用がカバーできることがわかり、ネットで申し込んでみた。
すぐに書類が送られてきて、その後の遣り取りは全てネットか電話。
疑問・質問にもすばやく丁寧な回答。好感度はぐんぐん上昇。

逆に。
S銀行の担当者K氏へ電話すると、「借り換えをしたいのですが・・・」と言った途端、態度が豹変した。
借り入れまではへりくだった対応だったのが嘘のように、口調はタメ口となり、
諸手続きの段取りを尋ねると、いかにも面倒くさそうで、ソニーバンクに聞いてくれの一点張り。
ソニーバンクから必要とされている残高証明書を発行してほしいとお願いすると、年末にしか発行できないと渋られ、
それに代わる証明できるものがないか聞いてみると、神田の支店まで取りに来いという。
送ってほしいとお願いしてもダメだった。
結局FAXで送ってもらって落着したが、その際にK氏に言われたこと。

これでなんか文句あるんかい、ボケェ!って先方に言うといてください。」

「先方」とはソニーバンクのこと。
電話口で言われたため、「ボケェ!」が自分に投げつけられた言葉のようだった。
この時は、本当に驚き、怒り、悲しかった。
確かに、借り替えれば、S銀行へ入るはずだった数百万円の利子収入がパー。
もしかしたら、その担当者K氏の査定にも響くのかもしれない。
だけど、(まだ)客に向かって、たとえそれが他の人に向けた言葉であったとしても、
「ボケェ!」はないんじゃないかと思う。
関西出身の私でも、許すことのできない言葉だった。

その後、S銀行の親会社であるU銀行はMT銀行との経営統合騒動があったり、金融庁の検査妨害が発覚したり、
ゴタゴタが勃発していた。
結果的に、さっさと借り換えしておいてよかったと噛み締めつつ、毎月ちびちびと繰り上げ返済に勤しんでいる。

12月 マンション理事会 忘年会
11月の理事会で、理事会メンバーの親睦会という名の忘年会が開催されることが決まった。
毎月の理事会でみなさんと顔を会わせてはいるけれど、新顔の私には、普段の彼らがどんな人か知らなかった。
(まぁ、これはお互いさまだ。私が撮影機材を持ったまま理事会に出席した時には、好奇の視線が集中し、質問攻めにあったし・・・)

親睦会は、12月のある土曜日、勝どきの和食ダイニングで行われた。
(個人的には築地の小料理屋さんを期待していたのだけど、予約が取れなかったらしい。)

理事長の挨拶もそこそこに、そこは築地人、食べ好き・酒好きが多く、早速乾杯。
注しつ注されつし、みんなの気持ちもほぐれたころ、
「俺、刺身が苦手なんだよ」
と苦笑いを浮かべる理事長は、築地場内で乾物の中卸を営む。
(乾物を扱うから、余計に生ものが苦手なのか・・・?)

理事会では、穏やかに、けれど最後にはビシッと締める監査役は、マグロの中卸を営む。
(戦前生まれと聞いて、再び驚く。)

一つおいた席で、高らかに場を盛り上げる副理事長は、銀座のママ。
(例の、私を理事会に誘った方だ。その目配りは、さすがプロ。)

他のテーブルの方も、市場関係者が多いようだ。
築地で生まれ育った人”二代目”、”三代目”もいれば、様々な職業を経て現在に至った方もいる。
そんな彼らの生き様や思い出話、市場や銀座の今昔を肴に宴は盛り上がり、3時間後、和やかにお開きとなった。
”親睦会”の名の通りの、意義ある忘年会だった。

よしっ。
親睦も深まったし、前回の理事会で『耐震改修工事検討委員』に指名されてしまったからには、
2005年は各ゼネコンから上がってきた計画書や見積書とにらめっこするか!?
(あ〜、でも構造は全然わかりませ〜ん・・・)

12月 取材を受ける
知り合いのライター・M氏から、ある雑誌の「中古マンションをリフォームして住む」という特集の取材依頼がきた。
すまいとのサイト運営という仕事柄、いつも色々な方の住宅を見せていただいているので、
逆に取材される立場になってみるのも経験かと思い、二つ返事でお受けした。

朝10時、M氏とカメラマンのN氏、アシスタントのE氏は到着するなり、
玄関から奥のベランダまで一直線に突っ切り、外を眺めながら、
「お〜、いい景色ですね〜。まさに都心っていう感じだなぁ。ここ、夜景もきれいんじゃないんですか?」
と言った。

そうとも。夜の1414号室からは、正面に葛西臨海公園の観覧車が小さく見える。
午後8時半になると、その観覧車の隣にディズニーランドの花火が小さく上がる。
少し遅れてドーンという音が小さく聞こえてくる。
その時間に帰宅していれば、毎日がお祭りだ。

そう話すと、M氏が「昼もいいけど、夜の景色の方が都心の雰囲気がでますよね。」と、ぽつり。
その一言で、急遽"夜の取材・飲み会バージョン"が行われることになった。
なので、昼間の取材はあっさりと終わった。

日を改めて行われた"夜の取材・飲み会バージョン"は、設計の寺林省二さんをはじめとする築地会常連さんや、
M氏が連れてきた人たちなど総勢10人ほどにもなった。
料理の準備でてんやわんやしているうちに撮影は終わってしまい、"夜の取材"での写真に映る私たちは、非常にリラックスしていた。
この日、万端繰り合わせて来て手伝ってくれた友人たちに感謝、だ。
撮影後は、いつも通り夜中まで続くにぎやかな飲み会となったのだった。

半月後に送られてきたゲラを読んでみると、若干の美化はあるものの、
(友達にやってもらった扉付けなどが、私一人で行ったようになっていた。> 無理無理。まるで私はD.I.Y.の達人のようではないか。)
「中古マンションをリフォームする」ことが、内装を全て新しくしてしまうのではなく、古さを残して楽しむ暮らし振りが伝わってくるようで嬉しかった。

今週末、本棚の材料が届く。
今度こそ、Do it myself だ。

 
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